人は死ねば骨になる

表題のとおりです。
人は死ねば骨になる。
僕は今、55歳ですから、50年後には当然骨になっています。そして僕と同世代の人も同じ運命を辿っています。
今、地位のある人もそうではない人も、50年後にはまったく同じ「ただの骨」になっているわけです。
だから僕は今の日々の苦楽にも努力にもなんら意味を持たないと考えています。行き着く先は同じなのですから。
でも果たして本当にそうなのか?
本当に50年後、100年後、誰もが等価になるのか?
おそらくノーです。
生きた証を残すことができれば、そこに価値が生まれるのではないか? と僕は結論づけました。
だからもう何十年間も、自分がこの世に生きた証を残すことに注力しています。
生きた証には有形のものと無形のものとがあると捉えています。
有形のものとは、遺伝子です。だから僕は子供を育てることを人生の最優先テーマと位置づけて歩んできました。
無形のものとは、例えば、創作物です。だから僕は歴史に残る作品を作るべく日々研鑽してきました。
ということを考えて毎日を過ごしているのは、世界中で僕だけかもしれません。きっとそうでしょう。

*追伸2023.11.29*
駅伝という考え方が適切に感じられます。
僕達一人一人が駅伝のランナーなのです。
自分が死ねばおしまいではなく、チームとしてはこれからさき何千年も駅伝が続くのです。僕の役割は次の走者である自身の子供達になるべく有利な位置でたすきを渡すこと。そのために僕は自分の担当する区間を全力疾走しているのです。区間賞を目指して。