東芝リストラから現在に至るまで

僕はサラリーマンなので、今日はその辺の話を。
サラリーマンとしての過去のおおよその歩みは以下のページですでに記述していますが、改めて。
https://colosseum.hatenablog.jp/entry/2019/08/01/221217

1989年に大学を卒業し、株式会社東芝に入社しました。2002年に東芝の分社化に伴い、東芝ITソリューション株式会社(今の東芝デジタルソリューションズ株式会社)が発足し、事業所ごと転籍させられました。
東芝東芝デジタルソリューションズとはまったく価値観が合いませんでした。「経営者は誰も彼もが無能、管理職はイエスマンしかいない」の一言に尽きます。30年間勤めましたが、最後まで僕が彼らに周波数を合わせることはできませんでした。
例えば、東芝デジタルソリューションズのルールとして「開発の各工程毎に第三者レビューを必須で行う。同じ日に複数工程のレビューも禁止する」という気違いじみたものがありました。仮にたった1週間で開発が終わるような小改造案件であっても、6回の(6工程の)第三者レビューを行わなければいけないわけです。ちなみに1回のレビューで用意しなければならない報告資料は20ページ程度で、どんなに頑張っても準備とレビュー&レビュー後の改善にそれぞれ丸一日かかります。すなわち0.25人月の開発作業に対して、0.6人月の管理工数をかけるナンセンスな事態が当たり前に発生します。お客様に見積もりを提示するにしても、絶対に辻褄は合いません。「今のルールは理解も納得もできない」と直談判したところで、管理職は「会社として決定したことだから」みたいな幼稚な回答しか寄越しません。「現実問題としてどう運用すればいいんだ?」と尋ねたところで、「それはお前が考えろ」と一蹴される有様です。
これはあくまで一例。上司が誰であっても、万事がこういう浅はかな会社でした。なぜなら経営者が近視眼的な思考しかできないから。そして管理職は鶴の一声に逆らおうともしないから。だから東芝グループは粉飾決算をはじめ悪評が尽きないのです。なにをするにもムダかつ無理な辻褄合わせが必要ですから。
会社も僕を持て余したのでしょう。結果としてリストラを余儀なくされたのが、2019年3月のことでした。
参考までに、当時「退職しなければ田舎にある東芝系列会社の工場に出向を命じる」と会社から突きつけられた際の紙っぺらを掲示します。一々やることが姑息というか、ブラックというか、浅はかです。
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53歳で東芝デジタルソリューションズに対して僕のほうでも見切りをつけました。
そして漂着したのが現在の会社です。
株式会社リーディング・エッジ社と言います。東証一部上場であるクリーク・アンド・リバー社のグループ会社です。
東芝グループと比べて、求められていることは非常にシンプルです。チャレンジすれば評価されるし、しなければ評価されない。ただそれだけなので、転職をきっかけに僕は羽ばたきました。
・2019年4月:転職。入社当時の肩書きはアシスタントマネージャー。
・2019年8月:マネージャーへ昇進。部下は35名。
・2020年2月:技術部の部長へ昇進。部下は150名。
そして明日からまた新たな役職を拝命します。
エンジニアキャリアキュレーション事業部という部署の事業部長です。当社の中核事業である人材派遣事業の責任者です。
僕は「自分が輝いていられるのは55歳くらいまでだろう」と想定していました。55歳以降の人生は僕にとってただの消化試合ですが、すでに55歳。だからこそ失うものはありません。リスクを恐れず大胆に職務を全うできるよう全力を尽くします。
社員の方々の力を借りながら、会社の発展に尽力します。